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t-guma&白川克政 人生物語♥(出会い〜t-gumaが生まれるまで・・)

●テキスタイルデザイナー (兼、スクリーン印刷職人  白川克政(しらかわ かつまさ)

●ファッションプロデューサー 白川敦子(しらかわ あつこ)

   <デザイナー 白川克政ストーリー>


t-guma&白川克政 人生物語♥(出会い〜t-gumaが生まれるまで・・)






1971年4月、双子の兄として誕生!
2歳の時、両親が離婚! 父が双子を連れ、3人の生活が始まった。
父は双子を育てる為にいくつもの仕事をこなし、家にはほとんどいなかったという。
夜は、父の経営するライブハウスのカウンターに座らされていた事も・・

幼い子供2人でお留守番する中、いつも空腹に耐えていたという。
空腹をしのぐ為に、幼い子供二人で海にいき、貝や魚をとり売ったり、マングローブをとり、売って少しの小銭で空腹を満たしたという・・・

幼いながらに、父は自分たちの為に働いてくれているんだと、何でも我慢出来たそうです。
父もまた、仕事だけじゃなく、たまの休みには海に連れて行ってくれ、そこでも、生きる力を教えてくれた。

その父の仕事の1つ。
石垣島の川平のビーチの側で、掘建て小屋をたて、観光客相手に、浮き輪やボートを貸してたり、星砂で砂絵体験をさせたり、貝を拾って売ったりという
小学校低学年から、手伝うようになった。道具を運んだだり、片付けたり、返却された道具を洗ったりと、仕事を手伝うと、父からの小遣いがあったという。

小学校1年から、働き、頑張ることで、お金をえる事が出来る。
生きていく事は、自分で考えなければいけない事を学んだと彼はいう。



       <父の背中>

昔、よくビーチにいた『かに族』と呼ばれる人達が、父が書いた、文字入りTシャツを着るようになり、それが、かっこいいと、見る見る広まったという。

そこで「海人Tシャツ」が生まれた。
父は、のちに、「海人Tシャツ」の創業者 白川弘と呼ばれる人になった。

しかし、まだ彼が、幼かった頃の父は、暴れん坊の少年の様に、いい意味自由人!

そして、父が再婚、しかし、母と呼ぶ事もなく・・・・・

ある日のお弁当会、当たり前に、双子たちのお弁当はなく、その時、彼は幼稚園の年長さん。
いつも、お友達のお母さんは、お弁当をどんな風に作るのか観察していた彼は、
お弁当が無いと泣く、双子の弟をなだめ、再び、家に戻り、母の出勤いした後の冷蔵庫の材料から
それっぽいお弁当を弟の分まで作っていったそうです。幼稚園から自分でお弁当作り・・・・


いろんな事に気づいてくれ父は、再び双子を連れて、3人の生活に・・・


5年生の夏、父を支えてくれる女性と出会い、再婚。
小5になって、初めて人間らしい生活と愛情を得たといいます。

45歳になった、今も、ずっと側で、父と息子、それに嫁の私を支えてくれ、愛情を与えてくれている母。


         <彼が22歳からの人生>

「海人Tシャツ」が大ブレイクし、沖映通りに「海人Tシャツ」の店長をしてくれないか!と父の言葉。
内地で仕事をしていた彼は、沖縄に帰って来る事になる。

その日から、Tシャツの印刷を寝ずにエンドレスだったという。
幼い頃の彼のハングリーの人生とは一転!
海人Tシャツの大ブレイクは止まる事なく走り出した・・・

有限会社から、株式会社になり、大きくなった株式会社「海人」の役員として携わった。が・・・・・
何処か、その時から、自分のやりたいデザインではない!自分はここではない!そう思ったと・


        <彼との不思議な出会い>

その頃、私と出会った。
男と女の感情では無く、幼なじみのような、兄弟のような、いつしか彼を、今の殻から抜け出させたい気持ちになったのを覚えている。

色々な不本意な状況から、彼は「海人」の会社を退職!
彼の貯金は一瞬で、底をついていた。

そのころ、私もお腹に小さな命が宿っていた。
お金は全くなかったけど、彼は、いつも、やさしい笑顔でした。

「あっちゃん、生きていたら、必ずいいことあるから、頑張ってたら、必ず成功するから、大丈夫!大丈夫だから・・」と
その、大丈夫という、なんの根拠もない言葉に、何処か安心していた自分がいた。


        <生きる力を教えてくれた>

臨月を迎えた私と彼は、内職を始めた。
毛糸のボンボンでつくるシーサー。しっぽに塩を入れてお守りに、お土産にと、100個作っては、お土産品店、空港、雑貨屋、そば屋さん・・・と20カ所以上行商に回った。でも、ことごとく、断られた。

ある日、小禄の守礼そば屋さんに、シーサーのマスコットをもって置かせてもらう様お願いにいった。
子供が生まれて、10日目に生まれたての赤ちゃんも連れて・・・

すると、今でも覚えてます。
オーナーの中村さんが、
「いいよ!レジの側に置くさ〜!可愛いさ〜頑張ってね」って21件目にして置いてくれたのです。

ほんとに心から感謝しました。私たちの命の恩人といってもいいくらい・・・


翌月、口座にマスコットシーサーが売れた金額6000円が入金されていました。
ほんとに嬉しかった。
その又、翌月は倍の金額が、・・そのまた、翌月はもっと5倍の金額が入ってました。


      <両親への感謝>

そのころ、石垣島に小さな店舗が開いてるから、やってみたら?という母からの電話!
でも、店を借りるお金もないし、売る商品と言えば、このシーサーのマスコットしかない!って

母が行った言葉は、「かつまさのデザインと印刷の技術、それにあんたの、元気があったら、なんでも出来るさ!」って言ってくれました。
店舗をオープン時には、シーサーと、彼のデザインした「モンステラ」のデザインと、後は少しのセレクト商品でなんとかオープンした。
母の励まし、後押しがなかったら、今の私たちはない!

後から分かったことですが、実家に、私たちが作った、たくさんのマスコットシーサーがあったのです。
石垣島から、沖縄本島に出て来る際に、毎月、守礼そば屋さんにいって、マスコットシーサーを買ってくれてたのは、実は、私の両親だったのです。
何も言わず、シーサーを買い続けた母。


      <二人三脚>

2007年!あれから9年という月日がながれました。
そして、9年間の荒波に乗りながら、彼のデザインは数えきれないほどになりました。
1つ1つのデザインにはコンセプト(思い)があり、形になった服にデザインを入れこむ。

中学の体育の教員をしていた私も、教師の道から、彼と一緒になることで、昔から服が好きなこともあり、好きこそものの上手なれ!
頭の中の作りたい服のシルエットを形にする道を選びました。


      <彼から生まれるデザイン>

彼の頭の中は常に物語が流れているといいます。
彼の人生で出会う人や、t-gumaの世界に登場する架空の人物や植物や生き物・・をイメージし、
頭の中で物語が次々に作られていく様です。
なので、彼が生きている限り、デザインの終わりはない!といいます。
彼のデザインそのものが、デザイナー白川克政の生き方そのものだと言っても過言ではありません。

彼が、見て、触れて、接して、感じた瞬間にデザインが生まれるのです。

彼は・・・・
いろんな経験をしてるからこそ、その感性で生きたデザインが生まれる。
いろんな経験をしてるからこそ、人に優しくなれる、努力を惜しまない・・・
そして、何と言っても、生命力が彼にはある!

そして・・・・・
二人の感性が1つになったとき、初めてt-gumaの作品が完成します。


長いストーリーを読んで頂きありがとうございました。



デザイナー白川克政が、培ってきたものを、今、1つの節目となる時、伝えたいと思いました。

夫婦でつくる「t-guma」!
もっと素敵な世界を皆様にお見せできるように、お互いに感性を高めあいたいと思います。

HP:http://www.t-guma.com/ 
t-guma Facebook: https://www.facebook.com/tgumatguma
 
t-guma那覇店(兼 工房)
沖縄県那覇市三原1-17-22(1F)  
TEL:098-840-4456  
FAX:98-840-4457          
 
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